つづきはまたこんど | 猫背日記・東京篇

つづきはまたこんど

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『映画、二本立て。』 

いい響きだ。

大阪に住んでいたころは、2本立て上映館がとってもディープな地域だったので

足を踏み入れ難かったわけですが、

東京は学生の町に名画座。いいなぁ。

これが世の映画監督たちがいう

「学生のときは学校なんか行かないで2本立てで映画ばっかり見てましたね」

ですか。

券売機で券買うんですか・・・!新鮮・・・!

初めて立ち食いソバ屋行ったときくらい新鮮・・・!

映画館のおっさんに

「あんたさっき電話してきてひとかい?」

って言われるのも、新鮮・・・ではない。かけてないし。

声かけられやすい体質ここでも発揮。


是枝監督の「花よりもなほ」を鑑賞。


時代劇好き。

是枝監督は、その作品が卒論のテーマにあやうくなりかけた程だった。

公開当初になぜ見なかったかは、ひとえに「忙しかった」から。

現代社会のマジックワード。これで全てにカタをつけがち。

・・・映画見る暇あったら寝たい。本気でそう思ってたし。

大学の恩師が聞いたら教授室のビデオタワーをこっちに蹴倒すな・・・


映画は。

長屋、きったないなぁ!が一番の感想。よく作ったなぁ。

いつも小説読んで、汚い長屋とか裏長屋とか想像して

雨降ったらあふれるどぶだの、たてつけの悪い障子だのを

頭に浮かべていた。

それが映像になってんのが、もううれしい。江戸バカとしては。

どぶ板を踏んで駆け出す足見て、「ああ!うれしい!」

湯屋(銭湯じゃない、湯屋!)の柘榴口。

紙屑拾いに、辻売り。ぼてふりの魚屋、代書屋、因業大家。

目に出来る風景がうれしい。


個性あふれる住人たち、お笑いのひと多く出てたのが意外。

しかしやはり古田新太は秀逸。おもしろいけど、彼はやっぱり「俳優」だった。

他の長屋の住人を演じる芸人さんとは、違う。当たり前だけど。

夏川結衣もうまい。田畑智子もよかった。好きなんだよな、この二人。

宮沢りえは良くも悪くもいつも通り。いつもと同じキャラだった。

着物だの言葉だのは無茶だし、

赤穂浪士やお犬さまや、色々ツッコミどころは満載だが、

時代考証とか固いことなしの、この映画における江戸。

それが映画の世界観を作っているし

上記の江戸らしき風景があることだけで、自分はすでにうれしいので。


話の内容はもうちょっと掘り下げてもいいかと思ったけど。

この映画世界の中だと、これもありか、という感じ。

ゆるーく、笑ってけんかしての長屋暮らしとゆかいな仲間たち、というところ。

仇討ちがいいか悪いか、するかしないかは

この作品だとそりゃあ「しない」を選ぶだろうなぁ、と思った。

時代小説では、仇討ちを果たす名作も当然ある。

何を「花」とするかは、作品の持ち味次第。ここでは「しない」が花。


一番印象に残ったのが、

父の墓参りと、碁のシーン(どちらもわりとキーとなるところ)で

主人公の岡田准一の手が映されるカット。

そこがいい画だなぁと思った。手を映す。

全編通してどことなく笑いのほっこり、クスッとくる雰囲気だけど、

そこのカットは空気がすっとして、光がきれいな感じがした。

自分としては、なんとなーく「是枝監督っぽい」と思った画。


色んな過去のことも、日々が変えてゆき

残ってゆくものがあり、そこからつながってゆくこともあると思った。

監督の作品はいつも「生きることと死ぬこと」を

どこかで考えさせられる。

前回は強烈に痛く。今回は笑いにガードさせて。


日々つながっていくことについて思いふけりながら帰宅すると

世界バスケの特集番組をやっていた。


昔、バスケ部だった。バスケ部員だった日々が大嫌いだった。

先輩に呼び出されるわ、苦手なガツガツ精神だらけだった日々。

けど、よかったこともあるんだよなぁ、たぶん。


バスケ部員だったから、大学でバスケサークルに入れた。

竹内ツインズも見に行ったなーこっそり近づいて

「・・・やっぱでかいなぁ・・・」って確かめたのも、サークルの友達と一緒だった。

田臥は出てなかったけど日本チームの試合も見に行ったし、

誰かさんの実家で鍋かこんでNBAの試合も見たなぁ。

ちょっと遠く、なつかしい日々。

大嫌いだった頃は、そんな日々が来るとは思ってもみなかった、

バスケ以外でも楽しいことが沢山あった日々。

センチメンタルついでに世界バスケ見に行きたくなった。チケットたかーいけど。


嫌いだと思ってたもの、ぐるぐる回ったり考えたりする時のことも、

いつかいい日々につながって、さらに時が経って

それをまたなつかしく思い出したりするのかもしれません。

というわけで、現在の日々のつづきも、


またこんど。