明日へ | 猫背日記・東京篇

明日へ

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明日の神話を見に、汐留に。


駅を降りてふわふわ歩いて、にぎやかなごちゃごちゃした広場があって

ふと横を見たら


岡本太郎。


・・・・すごい場所にあるなぁ・・・と思った。

なんか近くのステージでは、小学生がアナウンサー体験みたいなのしてて

ニュース読んでる姿がスクリーンに映し出されており、

その後には中国雑技団のひとが、

ものすごい軟体な姿勢で足にやかんをのっけており(うろおぼえ)

家族連れは番組スタッフにつかまりアンケートを受け・・・

全くこの壁画に興味ないひとも大勢いるわけで。ごちゃまぜ。


それでも見れる場所に持ってきてくれてありがとう、に尽きる。


どういう状況で製作され、行方不明となり、見つかって、運ばれて、

修復がずっと行われて、という流れを知れば知るほどに。


「・・・ふはぁ」と。

「・・・でかい」と。

でもこれ捨てたり、できなかっただろうなぁ。

圧倒的にすごい。

対峙すればわかる。

岡本太郎の作品と向き合うときはそうなる。

対峙すると、打ちのめされる。

ああ、絵はひと目見たときに何かがわかるのだな、と思う。

びびっとくるような、すとんとどこかに落ちるような、

がっしりその世界に捉えられるような、ロックオンが。

ぼろぼろの状態でも、「これがこの世からなくなる」という事実を

超えて処分できる人はいないような気がする。


ちょっと残念なのは、正面には飲食店とかあるので、

同じ高さから全景が把握しづらかったこと。

逆に、いいの?っていうくらい近くで見ることができたので

すいてたし、何回か並んでステージ上をちょろちょろ往復。


さらにすいてたドーナツやの2階から再び鑑賞。

全景を見つつ、つらつら考える。

もしホテルがそのまま建設されてロビーに明日の神話あったら、

どえらい伝説ホテルやな、とか。

でもそしたらメキシコやから自分は見れたかどうかわからんかったし、

今目の前にあるのってすごいな、とか。

ホテルの壁がこれ・・・他の内装はどんなんやったら

しっくり行くんやろか・・・とか。


見たときなんとなくスペインで見たピカソのゲルニカを思い出した。

美術館で、ほんま衝撃やったあの絵。

ゲルニカはほんま、目の前でピカソが憤ってるんかくらい熱があって、

芸術家ってすごいことするな・・・と思ったんやった。

ゆうても岡本太郎もピカソもこの前まで生きてたわけで、

美術館でもっと昔の画家の絵にものすごい衝撃与えられたり

博物館でもっともっと昔に作られたものに驚いたり

そして今、明日以降誰かをそういう気分にさせる芸術家たちは

この世に、同じ時間に沢山存在してるわけで。

なんか、人間が生きてるって割とすごいんじゃないかと思った。


iーPodに入れてた岡本敏子さんの音声解説を聴いてたら、

「誰かお金持ちがぽんとお金出して日本に持ってくるとかじゃなくて、

 みんなで、明日の神話を日本に持ってきたかった」

というかんじの発言をされていて、

「あるよ!そうやって、ここにある!」

って思ったらじんとした。

人間が出来ることって、割とあるのかも。

平凡に暮らしていても。

もう一回今月中に見て、次いつ会えるかわからないけど

いつかまたどこかで会えればよいなぁ、と思う。